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体験談~私は統合失調症~

私は河野 陽一郎と申します。現在、DTPデザイナー(書籍や雑誌、ポスター、チラシをはじめとする紙媒体の印刷物を作成する職種)として会社で勤めています。
私は精神疾患を患っており、病名は統合失調症です。今回、グルホネットに体験談を掲載させていただく事になりました。この様な機会を与えてくださり感謝しています。
内容は、私が病気を発症してから社会人になり現在までの病気との葛藤の内容です。読みにくい点もあるかと思いますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

学生の頃に病気が発症

私は大阪から東京の大学に進学し生活をするようになりました。2回生の頃、急に生活力がなくなり部屋がゴミだらけになりました。

今思えばその時、病気が発症していたのではないかと思います。友人の助けもあり部屋を綺麗にしました。その後、私はニュージーランドにワーキングホリディに行きました。その後帰国し、卒業を控え就職活動をしていた頃に友人が私の状態をみて精神科に行った方が良いとアドバイスをしてくれ、病院に通い始めました。

最初の症状は眠れないといった感じでした。睡眠薬を処方され、服用し始めました。

精神が不安定で混乱。突然の幻聴から自殺未遂

埼玉県の会社に就職を決め、卒業前に引っ越ししました。寮での生活で、3人で部屋をシェアしていました。
4年間住んでいた町を離れ、違う場所での生活がはじまり、当時付き合っていた女性と今後の付き合い方で喧嘩が多くなりました。学生の頃に描いていた卒業後の進路とは全然違う現実と、社会人としての不安感や友人と離れての生活という孤独感などから精神的に不安定になっていました。

ある日、友人と電話をしていると突然「死ね」と大きな声で幻聴が聞こえました。電話を切った後、私は睡眠薬を致死量飲んでしまいました。同居人に助けられ一命を取り止めました。病院には母親や友人が駆けつけてくれました。その後、大学を卒業。大阪の実家に帰ることになりました。

今、振り返ると当時、幻聴が聞こえた時は友人が言ったのだと思い込んでいましたが、友人は「そんな事いってない」と言っていました。

病院に通院せず、働いていたら病気が悪化

当時、私は思い込みや勘違いの妄想があり、友人などに理不尽な言い掛かりを言っていたことを覚えています。友人からは「病院に行って」などと言われていましたが自覚症状がなく、通院していませんでした。

退職後、専門学校に入学。DTPを専攻し勉強しました。その頃、ホテルでウェイターやイベント会場警備員、テレオペで営業などをしていました。ただ、大学生の頃のように働いても長く続かず、どこか私自身の状態がおかしいと上司に思われてしまい、仕事を辞めざるを得ない状況になりました。

専門学校卒業後、社員としてアクセサリーショップで働きました。会社の帰り、電車の中で幻覚症状にあいます。車内に乗っている他の人が自分となにか関係があると思い込んでしまうのです。妄想が広がってきたのを覚えています。この時も病院には通院していませんでした。

アクセサリーショップを退職後、電話会社選択サービス「マイライン」の個人営業、法人営業をしている時でした。会社の電話で営業中に、仲間の社員が私に嫌がらせをしていると思いその人に、理不尽な文句を言いました。言われた社員は困惑。上司に精神科に行くように勧められました。そこで実家でも私の状態を見かねた両親が精神科に連れて行ってくれました。

当時は精神科に通う事が非常にストレスでした。病院の先生からは統合失調症と病名を告げられ仕事の退職を勧められました。私はそれを断り、その後も営業の仕事を続けました。5年後、東京で営業の仕事をしていました。病気の症状は悪化しており、人に対して怒りやすくなっていました。少しのストレスで他人に当たり、迷惑を掛けていました。そんな中、ある業者の方に絡み、事件を起こしてしまいました。

精神鑑定、そして強制入院

そして警察に捕まりました。罰金刑でしたが、1ヶ月間で2回事件を起こしてしまい、精神鑑定の結果、神経過敏症と言われ入院となりました。入院生活では手足を拘束され、不自由な生活を送りました。

退院後、私の病状に変化がみられました。それは自覚症状がでたという事です。今まで、幻覚や妄想などの症状はありましたが、声が自分の頭の中で聞こえている事に気づいていませんでした。

今は、幻覚や妄想が自分の頭の中でハッキリと聞こえます。確かに、ソワソワし集中力はなくなりますが、それによって自分は病気なのだと自覚し、定期的に通院するようになりました。入院生活が終わり退院した後、私は30歳で生活保護を受給しました。

仕事がしたいとの一念で社会復帰

ある日、玄関のポストに お弁当が無料で食べられると書かれたチラシを見つけました。就労移行支援事業所のチラシでした。弁当を食べたいとの気持ちがキッカケで事業所に通い始めました。そこに通い、支援員から仕事先の紹介を受けました。それが今働いている株式会社インクルージョンです。

職場は就労支援A型事業所で病気にも理解があります。現在、ITチームのデザイナーとして働いて6年目になります。会社にはWEB系、DTPデザインやイラスト製作、ライティングなどパソコンを使うIT系のお仕事も沢山あります。働いているメンバー同士仲が良いのもインクルージョンの良いところです!また自分で企画した仕事が出来たりもします。

使用しているパソコンはWindowsです。IllustratorやPhotoshopなどAdobeを全PCに揃えています。月1で現役プロデザイナーが講師に来てくれてレッスンも受けられます!やる気があれば未経験からでも大丈夫なので安心です!現に未経験の方もお客様案件をこなしていますよ。

勿論、パソコンを使う仕事ばかりではありません。軽作業も豊富に揃っています。バリアフリーも完備!インクルージョンは障がい者だけが働いている会社ではなく、保育園や放課後等デイサービスも運営しています。いろんな人が働いていて、とてもインクルーシブな会社です。

YouTubeやSNSにも、めっぽう強かったりします。社長の顔も広くて、たまに芸人さんがゲストで遊びにこられたりします!マジックショーなんかもありました!キングコングの西野さんとトークショーなんかもされ大成功しイベントも盛り沢山!利用者が中心の、飲み会なども社内で開催されたりしました。

などなど沢山インクルージョンの自慢はあります。働いていて楽しい会社だから続いています。

一般就労へチャレンジ

そして今、生活保護を打ち切り家族がいて子供がいます。とにかく病気が治ってほしい、幻聴幻覚が消えてほしい。ただ、この病気は治らないと言われています。症状と上手く付き合っていくしかないのです。今は自分の病気とうまく付き合い、頓服薬などで自身をコントロールしています。

実はこのコラムを書く中で一般就労へ向けて就職活動を行っていました。活動は上手く行き、就労継続支援B型事業所の指導員として、この春より働く事になりました。今までインクルージョンで積み重ねたデザイン力を活かせる職場への転職になります。

ともあれ今は家庭を築き、前向きに幸せな人生を歩んでいます。振り返ると、私は優しい人に出会ってきたのだと思いました。今後も働きながら自分の症状と向き合い、昔のような人に迷惑をかける行為をせず前向きに生きていきたいと思います。以上になります。このコラムを読んでいただきありがとうございました。

グルホネット編集部
グルホネットのコラム、取材記事といったコンテンツ作成を担当しています。就労継続支援A型に勤務されている利用者さんといっしょに作成しています。